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福岡地方裁判所 昭和49年(ワ)1041号 判決 1976年11月25日

原告 田中アイ子

右訴訟代理人弁護士 本多俊之

同 福地祐一

被告 国

右代表者法務大臣 稲葉修

右訴訟代理人弁護士 原田義継

右指定代理人 小笠原照然

<ほか三名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一、〇〇〇万円と、これに対する昭和四七年九月一〇日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右第1項について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨並びにかりに敗訴の場合、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は訴外亡田中克好(以下克好という。)の実母である。

被告は国立学校設置法及び同法施行規則に基づいて九州大学医学部付属病院(以下九大病院という。)を開設、維持管理しているものである。

2  入院治療契約の締結

(一) 克好は昭和四七年六月七日乗用車を運転中追突事故に遭遇して負傷し、直ちに甘木市の福島外科医院で診察を受け、頸椎挫傷との診断により即日同医院に入院し、当初から頭重感、後頭部より頸部及び背部に疼痛等を訴えていたが、次第に不眠、精神不安定などの症状が加わり、極端に口数が少なくなり、医師に対しても拒否的な態度を示すに至り、ついに同年七月三〇日には、コーラのビンの破片で頭部を切ろうとして自殺を企てたため、同医院での治療は困難となり、ひとまず同日同医院を退院した。

(二) 同年八月一日克好は九大病院精神神経科に外来受診し、同科で強い不安感、憂うつ感、被害妄想、関係妄想、注察妄想、自殺念慮等の症状が認められ、心因反応の診断のもとに、即日同病院に入院した。

(三) ところで、克好は被告との間に、九大病院入院に際し、同人の病状を医学的に解明し、これに対し適切な治療行為を行うとともに、入院期間中自傷の危険から同人の身体の安全を守ることを内容とする入院治療契約を締結した。

3  克好の死亡に至る経過

(一) 入院後、克好は自傷、他傷の行為に及んだため、自傷、他害の恐れがある患者のみを施錠し外部から隔離して収容する保護室(一人部屋)に移された。

(二) 克好はその後も快方に向うどころか前記症状は昂進し、ついに同年九月八日、前記保護室の鉄格子にタオルをかけて首つり自殺を企てようとしたため、同日首つりなどできないように布団のカバー、シーツ、その他備品什器類を取り除いた別の保護室に移された。

(三) ところが、克好は翌九日早朝またもやベットに火をつけて自殺を企て、そのため腰部のあたりに火傷を負うに至った。

そこで、同人は右火傷の治療を受けるため、車椅子に乗せられ、医師、看護婦、看護手の各一名に付き添われて、収容されていた閉鎖病棟から連れ出され、同病院中央病棟七階皮膚科処置室まで出向き、同所で治療を受けた。治療終了後、同人を再び車椅子に乗せ、看護手が後方からこれを押し、医師がその前方に立って右閉鎖病棟へ帰りかけたところ、同人は突然車椅子を降り、右処置室前廊下を南に向って走り出し、たまたま入口のドアが開いていた皮膚科病棟七階の七〇八号室に駆け込み、同室南側の窓から外へ投身し、背後から同人に抱きつきこれを制御しようとした看護手ともども階下に墜落した。

(四) そのため、克好は同日午後五時二〇分、同病院において死亡した。

4  被告の責任

(一) ところで、克好は、前記2及び3のとおり、前後四回にわたって生命に危険を及ぼす自傷行為ないし自殺を繰りかえしているうえ、同人の治療に当った医師自身が同人には自殺企図のおそれがある旨認識し、カルテで注意を呼びかけていたほどであり、本件事故直前克好には自殺念慮が活発に起っていたことは明らかで、同人が自殺に及ぶ危険性は十分認められたのであるから、自殺の予防に万全の措置がとられねばならない状態にあった。

ところが、克好が前記経緯で火傷を負った直後、同人の診察に当った精神科当直医大村重光(以下大村医師という。)は、同病院皮膚科から往診を求めることができたのに、右火傷につき何らの応急的処置もなさず一時間余も放置し、専門的な治療を必要とする状態を形成しておきながら、主治医の判断を求めることもなく、同人には自殺の危険はないものと速断し、同人を閉鎖病棟から連れ出し前記皮膚科受診の措置をとり、本件事故を招いたものであるから、これは自殺防止への配慮を欠き、入院治療契約上の債務の本旨にそぐわないものであった。

(二) したがって、大村医師が克好の病状に十分注意を払い、皮膚科から往診を求めたうえ、閉鎖病棟に収容したまま火傷の治療をさせる措置をとっていたならば、本件事故も起らなかったであろうから、被告は克好に対し右債務不履行により生じた後記損害を賠償すべき義務を負う。

5  損害

(一) 克好は死亡当時二一才の男子であり、その若さからいっても、また精神状態の異常が発現して以来日が浅かったことからいっても、まだ十分社会復帰の可能性があったと考えられ、本件のごとき悲惨な事故で一命を落したことは、まことに痛ましい限りである。

したがって、克好の受けた損害は金銭によって評価することは不可能であるが、強いて評価すれば金一、〇〇〇万円を下らない。

(二) 原告は克好の死亡により同人の被告に対する損害賠償請求権を相続した。

6  よって、原告は被告に対し、金一、〇〇〇万円と、これに対する克好死亡の翌日である昭和四七年九月一〇日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  (認否)

請求原因1の事実のうち、前段は知らないが、後段は認める。

同2の事実のうち、(一)は知らない。(二)は認める(ただし、注察妄想及び自殺念慮の症状は強いものでなかった。)。

同3の事実のうち、(二)の克好はその後も快方に向わなかったという主張及び(三)の保護室のベットに火をつけたことが自殺を企てたものであるとの主張は否認するが、その余はすべて認める。

同4は争う。

同5のうち、克好が死亡時二一才の男子であったことのみ認め、その余は争う。

2  (主張)

(一) 事故当日の当直医であった大村医師は過去一〇年余にわたり、精神科医として臨床経験を有する者であるが、看護婦詰所において、克好を診察し、その左側腹部、左臀部、右大腿部に第一度の火傷を認めたので、冷罨法を施しながら診察を続けるうち、火傷の程度が第二度に進行し、早期の専門的治療の必要性が生じたため、精神科には皮膚科治療の器具はなく、皮膚科往診を依頼しても応急的処置ができる程度で十分な治療はできず、したがって、院内の皮膚科で受診して治療を受けるのが最善と考える一方、この間約一時間にわたる克好との面接により同人の気持ちを落ち着かせ、その精神状態からは差しせまった危険はなく、過去に四回院内他科受診の経験があることをも考慮して、医師と看護手が付き添えば皮膚科受診も可能であると判断し、看護手と共に克好を閉鎖病棟外に出したものである。

そして、明治三九年九大病院精神科の開設以来、医師の面前で患者が自殺するということはかつてその例を見ない事例であり、また九大病院以外の病院(精神科)においても、九大病院精神科の承知する限り、わずかに一例を聞くのみであって、本件は全く特異の事例であるうえ、とっさの自殺企図であることを併せ考えると、九大病院精神科においては十分看護義務を果したというべきで、原告が主張するような債務不履行はない。

(二) かりに被告に損害賠償責任があるとしても、原告は昭和四八年五月三〇日本件事故が交通事故に基因するものとして自賠責保険金から金五〇〇万円を受領しているので、右の金額は控除されるべきである。

三  被告の主張(二)に対する反論

原告が受領した金五〇〇万円は、克好が交通事故にあったことに対する損害の補償の一部であって、同人の死亡したことのみに対する補償ではないと考えるべきである。右五〇〇万円には、交通事故にあってから死の直前に至るまでの克好のこうむった精神的・肉体的損害に対する補償が含まれているからである。したがって右五〇〇万円全額が控除されるべきではなく、かりに控除されるとしてもその金額は五〇〇万円と克好の死に至るまでの損害との差額に限られるべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  本件入院治療契約について

1  請求原因1後段の事実及び昭和四七年八月一日克好が九大病院精神科外来で診察を受け、心因反応の診断のもとに、即日同病院に入院した事実は当事者間に争いがない。

2  そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

克好は、昭和四七年六月六日乗用車を運転中追突事故に遭遇し、直ちに甘木中央病院で診察を受け、むちうち症の診断を受けたため、翌七日甘木市内の福島外科病院に入院して治療を続け、当初の頸痛、腰痛などは次第に消失したものの、同年七月二〇日ごろから、抑うつ状態となり、同室の者と言葉を交すこともなくなったばかりか、担当医師に対しても拒否的な態度を示すに至り、ついに同月三〇日コーラの空びんを割ったうえ、その破片で右側頸部を切り付け自殺を企てるに及び、同病院での治療を困難と考えた医師の紹介に応じ、同日同病院を退院した後、同年八月一日九大病院精神科外来に来院して診察を依頼し、これに応じた担当医師が、不安感及び抑うつ感並びに関係妄想、注察妄想を認めながらも、精神分裂病の一級症状といわれる幻聴が判然としないところから、心因反応(抑うつ型)の診断を下し、自殺念慮にも注意を要すると考え、克好に入院を指示した経緯を経て前記1のとおり克好が同日九大病院に入院したこと。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3  そうすると、克好は入院に際し、被告との間に入院治療契約を締結したことが認められ、右契約は、患者の病状に応じた治療行為を行うとともに、その入院生活を通じて、その病状に注意を払い自殺、自傷等不慮の事故を予防するため、最善の看護行為を行うことを内容とする旨の準委任契約と解される。

二  克好の病状及び被告の診察、治療の経過について

1  請求原因3の事実は、克好の症状が入院後快方に向わなかったとする点及び九月九日早朝克好がベットに火をつけたのは自殺を企ったためであるとする点を除き当事者間に争いはない。

2  右1の争いのない事実に《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

(一)  克好は前記経緯で入院した後、精神科病棟のうち病棟の出入口に施錠はあるものの、病棟内の行動は自由である五人部屋に収容され、抗うつ剤、強力精神安定剤の投与による薬物療法を施された結果、次第に不安感、抑うつ感も消失し、医師の話にも明るく応じるまでに好転したこと。

(二)  ところが、八月二〇日午前八時ごろ、克好は同室の患者に傷を負わせたうえ、自らも右頸部を自傷するに及んだため、当直医は、外科に受診させて右傷の手当てを受けさせる一方、翌二一日克好を診察した主治医は、右自傷行為が幻聴によるものと考え、精神分裂病圏にあると当初の診断を改めるとともに、同人を同病棟の保護室(部屋の出入口に施錠を施した個室)に移したうえ、幻覚妄想や鎮静の効果のある薬物投与を続行したところ、同人の病状は再び順調な経過をたどったこと。

(三)  しかし、同年九月七日主治医が克好を診察した際、不安感、抑うつ感の症状がみられたため、カルテの同日、翌八日の欄に自殺企図に厳重注意すべき旨を記しておいたところ、八日昼すぎごろ、克好は、自室の鉄格子にタオルを結んで首つり自殺を企ったが、途中で思いとどまり右自殺は未遂に終ったこと。

(四)  その直後面会に訪れた弟英俊は、克好から首つり自殺が失敗に終ったいきさつを聞き、同人の動静には落ち着きがみられ病院側に知らせるまでもないと考えたものの、念のためにと思い直して通報したため、病院側としても、自殺を防止すべく、布団のカバー、シーツ、ベルトその他自殺に供されるおそれのある備品を一切取り除いた隣の保護室に克好を移す措置をとったこと。

(五)  翌九日午前六時二〇分ごろ、精神科の当直医であった大村医師は、克好が前記保護室のベットに火をつけた旨の連絡を受け、直ちに駆け付けたところ、火は既に消火されていたものの、同人が興奮状態で、火傷を負っている様子であったため、看護婦詰所に連行のうえ診察した結果、その左側腹部、左臀部、右大腿部にかけて発赤し、点々と水ほうが見受けられたため、第一度の火傷と判断して応急的に冷罨法を施す一方、問診を主とする面接を続行して克好のその時点における精神状態の把握と興奮状態の緩和に努め、かつ今後の治療方針を検討したこと。

(六)  その後、克好の火傷の程度は、発赤の範囲も広がり、水ほうも多くなり、これも破れてびらん状態になり、疼痛を訴えるなど第一度から第二度に進行したため、もはや単に患部に直接治療を加えるのみではなく、二次的に生ずる脱水症状及びこれに伴うショックその他の余病の併発を防止することも含めて早期に皮膚科の専門的治療を必要とする状況に立ち至ったところ、当時精神科には、何ら治療器具も設備もなかったこと。

(七)  他方、克好は当初挙動に落ち着きがなく、椅子から立ち上ったりすることも一、二度あったうえ、大村医師が話しかけるのにも要領を得ない答を返すなど興奮状態にあったところ、同医師の約一時間余にわたる面接を通して、次第に落ち着き、的確な応答をなしうるまでに安定してきたこと。

(八)  そこで、大村医師は、火傷の治療の必要性を認め、その方法として往診を求めるか、出向いて受診するかを検討したところ、前者では不十分な治療しか受けられないこと、面接によって得たところでは、克好の病状には差し迫った危険を示す徴候はなかったこと、平素から回診などで克好について概略の予備知識は有していたがさらにカルテで入院後の症状経過等を調査したところによれば過去に自殺企図があったにもかかわらず他科受診の経験があり、いずれも問題はなかったことなどを考慮するとともに、医師及び看護手が付添っていくならば顕著な安定を示すのが一般的であったので、後者の方法を選ぶことが、克好にとっても最善の道であるとの判断に達したこと。

(九)  そのため、大村医師は当直の桜井看護手に克好を車椅子に乗せて押すよう指示するとともに、自らも付き添い、同人を中央病棟七階皮膚科処置室に連れて行き、同科医師の手当てを受けさせたが、この間克好には格別異状と見受けられるところはなかったので、治療後再び同人を車椅子に乗せ、桜井看護手が後方から押し、田中看護婦が前に、大村医師が車椅子の左側に付き添う形で帰途についていたところ、同階看護婦詰所前廊下の曲り角にさしかかった際、突然克好が車椅子から立ち上がり、たまたま入口のドアが開いていた七〇八号室に駆け込んだため、桜井看護手、大村医師の順で後を追い、桜井看護手が同室南側窓際でその窓より飛び下りようとして窓枠に昇りかけた克好の背後から飛びついて取り押えようとし、いったんはその上半身を押えたが、これに覆いかぶさるようにしてそのまま先に窓外に転落し、次いで大村医師が手をかけるより一瞬早く克好も自ら窓外に身を投じるに至り、桜井看護手は同日午前九時、克好は同日午後五時二〇分、同病院において、それぞれ死亡するに至ったこと。

おおよそ以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

三  被告の債務不履行責任について

1  原告は、克好を閉鎖病棟に収容したまま皮膚科から往診を求めて火傷の治療に当るべきところ、危険を犯して皮膚科受診のため同人を閉鎖病棟外へ連れ出した大村医師の措置は、自殺防止への配慮を欠たものであると主張し、被告は同医師の措置に手落ちはないと抗争している。

2  そこで、前記一及び二で認定した事実関係を前提として、大村医師のとった前記措置の是非を検討するに、

前示のとおり、大村医師が克好の火傷に対する応急措置をとりながら同人の精神状態の把握と興奮状態の緩和に努め、かつ今後の治療方針を検討しているうち、火傷の程度が進行し、一刻も早く皮膚科医師の診察治療を受けることが必要な状況に立ち至ったが、その治療のため、往診を求めても精神科には治療器具、設備等の備えが全くないうえ、持ち込める治療器具、薬等におのずから限りがあって、応急処置しかとり得ない憾があり、したがって、本件では、火傷の範囲程度等からみて、克好自身を皮膚科受診のため閉鎖病棟から連れ出す必要性が差し迫っていたこと、今日の精神医学界の現状では、精神障害者の病状を認識する方法として、患者と面接する以外適切な方法が存しないところ、本件の場合、大村医師は回診等で得た克好の病状に関する予備知識に加えて、カルテの検討並びに約一時間余りに及ぶ問診を主体とする面接によって同人の病状の認識に努めていること、克好を閉鎖病棟から連れ出すについて、同人を車椅子に座らせ、看護手に背後から押させて常時監視させるとともに、大村医師自らかたわらに付き添い、その動静に絶えず注意を配れるよう配慮していること、主治医の自殺企図に注意する旨の警告どおり、首つり自殺未遂及び放火による自傷行為を連続して行っているとはいえ、前者については自ら中止するとともに、訪れた弟と落ち着いて会話を交しているばかりか、後者についても、大村医師の面接の結果、当初の興奮状態も鎮静化しており、格別の異状も認められなかったうえ、過去には自殺未遂直後に退院したり、自傷行為直後に外科受診に赴いているにもかかわらず、別段問題を生じた形跡もうかがえないこと、その他大村医師は臨床医として一〇年余の経験があることをも総合勘案すれば、不幸な結果を招来したとはいえ、大村医師のとった措置は、火傷の手当てに対する配慮とともに、自殺防止への配慮を十分尽くしたものといわざるを得ず、したがって、被告に債務不履行の責を問うことはできない。

四  以上の次第で、その余について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 美山和義 裁判官 江口寛志 佐々木茂美)

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